namida_rassai’s diary

僕は高校生

涙の許容

私は今日巷で流行ってる作品の映画を観た。

情景や音響、ストーリーの構成など、非の打ち所のない

非常に良い作品だった。

自分はそこまで涙もろくなかった。

しかし、終盤の一番の感動シーンで自分の涙で水晶体が沁みたのを感じた。

このまま涙腺を自由にさせていれば泣いていただろう

しかし不思議と涙は枯れてしまった。

その原因というのはおそらく

 

家族と見ていたから

一応生物学的性は男だったから泣くのは恥ずかしい

 

この2つが作用したからだと思う。

私の父親は人の泣いている様を伺っては笑う。

正確に云うと面白がって見てくるのだ。

それが腹立たしい。

そうして泣くのが嫌になった。

泣いてる様を誰にも見せたくなかった。

一人なら泣ける。

誰にも心配をかけなくて済むから。

僕は泣ける映画を見るときは一人で観る。

そして一人で泣く。

そうして涙で心が洗浄されていく。

心置きなく涙を流せる。

僕はそれを一種の幸福と捉えている。

泣くなんてめったにできない。

そういう体験は人を動かす。

良いようにも悪いようにも。

泣くことは原動力なのだ

涙はガソリンだ。

様々なものを生み出すガソリンなのだ。

戦車にも、発電機にも使えるガソリンなのだ。

涙は流せるときに流しなさい。

一滴でも涙を地に落とせばあとは結構出てくるものだ。

僕はいつからか感動する作品を見るとよく泣くようになった。

それはぜひ幸福なことに消費したいものだ。

余談だが、今やってるゲームに刀剣を擬人化させて育成、戦闘をさせるゲームがあり、

その中で 極修行 といって名の通り

96時間待つと極めて強いレベルに成長させる器が手に入り、再び強い状態でレベルアップしていくものがあり、ちょうど推しが帰ってきた。

その後一言何かを言うのだがそれに涙が出てしまった。

しかし、それを地に落とすという事はなかった。

おかえり。

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